かつお節塾

カツオと鰹節

カビ付けの変遷

鰹節の製造工程において重要な意味を持つカビ付け。そのカビ付けが、日本の東西の味文化の違いを作り出す要因になったといっても過言ではありません。それでは、東西のカビ付けの違いをご紹介しましょう。

1. 大阪と江戸

 狭い日本ですが、大坂(関西)と江戸(関東)では大きく文化が異なります。食に関しても、肉ジャガの牛と豚、鰻の腹開きと背開きなど、あげるときりがありません。「鰹節の歴史」で、鰹節が現在に至るまでの経緯を簡単に説明しましたが、鰹節にも東西文化の違いがあることを、もう少し詳しく説明します。

 西の主要生産地である土佐・薩摩は、天下の台所である大坂へ鰹節を輸送する際に発生する、カビに悩まされました。その後、長年の製造経験の中から、節の表面に優良カビを生やすことにより、悪性のカビが生えない環境にしてしまうという、苦肉の策を考え出しました。これは、「毒をもって毒を制す」の諺どおりの製法といえます。この時のカビ付けは1回だけ行われ、それを「節一乾」とも言います。この鰹節が、大坂の味文化として今でも受け継がれています。

 大坂に集められた鰹節は、江戸を中心として各地に「下りもの」として流通しました。江戸へは海路を船で輸送しましたが、昼は陸を見ながら走り、夜は港につけ、風や雨の日は港で待機し、天候が回復してから出港するという航海だったので、10日から1ヶ月ほどの時間がかかりました。一乾の節はまだまだ水分が多く、潮風・波しぶきに当たることにより、新たにカビが発生しました。さらに、江戸に到着してから蔵に保管している間にもカビが発生し、再三払い落とす必要がありました。しかし、「カビが付き、払い落とす」の繰り返しのなかで、経験的に「鰹節が良質化する」ことに、江戸の鰹節問屋は気がつきました。魚臭さが減少し、旨みが増し、特有の香気が醸しだされ、だしが濁らなくなるということで、結果的に繰り返しカビが付いた鰹節が出回り、江戸の味文化として定着していきました。

 大坂の鰹節は、悪性のカビが生えないようにすることを目的に、カビ付けを1回だけ行った荒節です。それに対して江戸の鰹節は、美味しく良質化することを目的にカビを数回付けた枯節です。カビ付けの目的が違うことによりできた荒節と枯節が、東西の味の文化に影響を及ぼしたといえます。

2. 西伊豆田子

 西の土佐・薩摩に対して、東の一大産地は西伊豆の田子でした。伊豆七島の近海で鰹節に適した魚質のカツオがたくさん獲れ、気候風土も合わせて鰹節造りに大変適した土地でした。この地で生産された「伊豆節」は、大坂に送られることはなかったので、当時は全国的な知名度は土佐・薩摩に及びませんでした。しかし、江戸の鰹節問屋との直接的な取引で、販路はしっかりと確保されていました。

 『鰹節 上・下(宮下 章)』によると、江戸の鰹節商人の知恵と西伊豆田子の鰹節職人の工夫による卓越した発酵技術によって作られたとされています。田子の職人はこれを難なくこなし、先進地・土佐の鰹節とは違った独特の「伊豆節」を生み出しました。明治初年において、3番カビ付けを完成品とする「本節」が誕生した瞬間です。

  土佐式が、納屋の中に裸節を蔵置して、悪性のカビの発生を防止する目的で、1回のカビ付けを行ったのに対して、伊豆では悪性のカビの発生防止だけでなく、さらに鰹節の味を良くする目的を持たせました。3回のカビ付けを徹底して行うことにより、「伊豆節」は天下の名産品に仲間入りしました。その後、明治40年代には4~6番カビ付けの「本枯節」が出現して「伊豆節」が完成し、全国的に大変高い評価を受けるようになりました。カビ付け方法の足跡の年代設定は、諸説があり明確ではありません。明治33年に著された『静岡賀茂田子鰹製造法』には4番カビ付け以降の記述もあり、明治40年代より前に「本枯節」が造られていたとも考えられます。

「伊豆節」は、駿河湾の対岸に位置する焼津に伝えられ、「焼津節」として発展します。焼津は田子から学んだ製法にさらに改良を加え、機械化による大量生産に移行していきました。カツオ漁の遠洋化に伴い、焼津港は国内有数の水揚港となり、潤沢に原料の確保が出来るようになりました。また、東海道本線の開通により東京への輸送ルートも確保され、ますます発展を遂げて現在に至っています。

  それに比べて、昭和40年以降、田子は衰退の一途を辿ってきました。近海でたくさん獲れた質の良いカツオの漁場がだんだん沖合いに移動し、カツオ漁は遠洋での操業が主力になっていきますが、田子の漁師はその対応に遅れてしまいました

 その後、政府の一本釣りから巻網への転換による減船政策などもあり、結局、田子のカツオ船は全てなくなってしまいました。現在では、焼津からカツオを運んで加工している状態です。輸送上、陸路しかないことも要因のひとつに挙げられます

 しかし、田子に現存する鰹節製造業者は、古来からの手火山方式による鰹節造りにこだわり、製法を守りつづけています。

 他方、先進地である土佐・薩摩では、江戸がどんどん発展し、東京を中心とする東日本の鰹節需要が増大すると、明治40年以降になって東京向けの本節を製造するようになっていきました。田子から遅れること数十年後のことでした。

3. 荒節・裸節・本節・枯節

 荒節・裸節・本節・枯節と鰹節の呼び方がいろいろあるので、整理をしておきます。前述したとおり、東西で文化が 違うので、総称を「鰹節」として説明します。

表.鰹節
種類 特長
荒節 生切→煮熟→焙乾により作られ、表面には真っ黒な煙の成分が付着している。水分量は23%前後。削って花鰹としても使われる。
裸節 荒節の表面の煙の成分をグラインダーなどで削り落としたもの。 関西ではこれを「鰹節」と称することが多い。
枯節 土佐・薩摩節の一番カビ付けをしたもの。「一番枯」、「カビ付け一乾」とも呼んでいた。新造語として「青枯節」の名称もある。現在はほとんど流通していない。
本枯節 業界として統一した定義はありません。当社としては4番以上のカビ付けをしたもの。夏場の強い日差しの下で干し込んだものを「夏枯改<ナツガレアラタメ>」とも呼び、最上級の鰹節として扱われる。水分量は13~15%で、世界で最も硬い食品とされる。

※本節・本枯節を「みがき節」ともいう。関東ではこれを「鰹節」と称する。

 鰹節製造の一連の流れのなかで、産地により生切り・焙乾方法などに違いはありますが、カツオが鰹節まで加工される工程はほぼ同じです。荒節・裸節まではおよそ20~30日で出来上がります。荒節・裸節は、煮たカツオに熱と煙を作用させて乾燥させたもので、魚臭と燻し臭が強いものです。しかし、だしを取ると風味があり、これを利用したものが関西の味の文化になっています。その後、本節・本枯節に仕上げるには、更に3~5ヶ月の期間を要します。手間ひまをかけることにより、魚臭さが微塵もない芳醇な香りのする本節に生まれ変わります。

関西と関東の鰹節の変遷

関西と関東の鰹節の変遷

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